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栄光に近道なし 網野レスリング丹心

丹心

丹心(たんしん)

 「丹心」というのは書いて字のごとく「丹後の心」を意味します。数年前までは、女子のチビッコ選手らが試合で着用しているユニフォーム には、”丹心”の文字が描かれていました。現在は、残念ながらこのユニフォームを着て試合に臨むことはなくなりました。「丹心」というのは、このホームページの名前でもありますが、網野のレスリングは3つの組織から構成されている。 まずは、「網野高校レスリング後援会」、次に「網野町少年レスリング教室保護者会」、そして「網野高校レスリング部OB会」 であり、それらをまとめた組織が「丹心」です。

 − 網野レスリング「丹心」の組織 −
 「丹心」会長・・・織田さん
 (1)網野高校レスリング部後援会・・・主となるのは、高校生であり、保護者の方も一員となります。
 (2)網野町少年レスリング教室保護者会・・・チビッコ(中学生まで)を中心とした組織です。
 (3)網野高校レスリング部OB会・・・高校を卒業した選手OB・OGすべてがOB会の一員となっています。
  OB会会長・・・眞田

   〜 網野レスリングの歩み 〜
 この網野町にレスリングが始まったのが、昭和60年になります。というのも京都国体の開催地としてこの丹後が選 ばれ、地元選手の活躍というものは国体にとって、また、地元にとっても大きなものです。そこで1985年に、地元で活躍する 選手の育成を目指して赴任してきたのが、網野レスリング部を創った三村和人監督です。着任してきてすぐにレスリング部 が網野高校にできたわけではなく、柔道部の顧問からスタートし、柔道の練習にレスリングの練習も少しずつ取り込みながら 行っていました。そして、2年目にレスリング部が柔道部と分かれることになり、クラブ同好会としてスタートを切りました。当時の部員といっても柔道部と兼任も含め 、7人ほどでした。その後、正式に網野高校の中でレスリングクラブとして認められ、対外試合や合宿などの活動を通して一歩ずつ網野レスリング部としての歴史を歩んでいくことになりました。
 レスリング部がスタートしはじめた頃は、まだ練習の形や道具などが何もなく、体育で使用するロングマットを敷いて、本を見ながらの練習でした。そこから徐々に練習スタイルを京都市内のクラブチームや大学生(同志社大学)らの内容を取り入れながら、形が出来上がっていきました。弥栄町の体育館の2階にマットを敷きっ放しにさせていただき、授業が終わるとみんなで練習に通いました。まずは京都で一勝、京都でチャンピオンを目指すことに全員が汗を流して取り組んでいきました。 そして、昭和63年には京都国体が丹後町と弥栄町で開催されました。地域の協力や応援を受けてクラブからは2名(井上雄策、田中晃)の選手が出場し、見事地元の期待に応える結果を出しました。こうして地元に少しずつレスリングというスポーツが根付いていく大きな足がかりとなりました。
 さらには、地元にレスリングを普及させることになったのが、網野町レスリング教室の始まりです。その一期生が井上謙二(自衛隊体育学校)です。「世界にタックル」を目指して、将来はこのチーム、クラブから世界に通じる選手を出していきたいという願いを込めて、日々の指導に取り組んでいきました。現在も多くのチビッコが練習に励み、小学生や中学生、高校生で全国チャンピオンを出してきました。さらには、世界で活躍する選手も多く育ってきました。チビッコ1期生である井上謙二は、2004年のアテネオリンピック銅メダリストです。目標を持って練習し続ければ夢が叶うことを後輩やチビッコらにその姿を見せてくれ、勇気づけられました。チビッコや高校生も、いつかはオリンピックに出てみたいという願いを持つ大きなきっかけになりました。身近な選手がオリンピックに出場することは、網野レスリングの中でも大きなことでした。井上謙二だけではなく、伊調千春も銀メダルを獲得するなどるなど網野高校が全国に名前を響かせることになりました。その後も、網野レスリングからは世界のマットで多くの選手が活躍してきました。今も多くの選手が活躍していて、大学、高校、中学、チビッコとすべてのマットの上で全国チャンピオンが生まれました。こうのようにチャンピオンが多く出てきている理由には、網野レスリングが目指して取り組んでいる一貫指導も大きな理由です。それと、やはり地元地域の多くの方の応援や協力、さらには保護者の理解も選手が思う存分に練習に向かう環境や体制が整っていることが大きな支えや励みになっています。
 これからも多くの選手が、京都で、全国で、世界のマットで活躍していけるよう頑張っていきたいと思います。ご声援のほど、よろしくお願いします。 


丹心 〜歩み〜

S60.4 三村監督が網野高校に赴任する。柔道部の顧問となる。
網野高校レスリング部同好会から発足、後にクラブとしてスタートを切る。
S61.8 城下浩太郎がクラブ初となる、岡山インターハイに出場する。
S63.10 京都国体が丹後町(少年の部)、弥栄町(成年の部)で開催される。
S64 吉岡和輝が全国グレコ大会でクラブ初となる全国優勝を飾る。
H1 網野町チビッコレスリング教室が始まる。
H5.7 全国少年レスリング選手権で松本真也が3年生で教室初の優勝を飾る。
H7 第9回全日本女子レスリングオープントーナメントが網野町で開催される。
H9.8 高校総体(京都インターハイ)が開かれ、網野町でレスリングが開催される。
H10.10 篠村敦子(福岡大)が世界女子レスリング選手権で優勝を飾る。初めての世界優勝者を出す。
H11.6 松本真也が全国中学生レスリング選手権で3連覇を飾る。
H11.9 正田絢子が16歳で第12回世界女子レスリング選手権を制する。
H14.10 松本真也が史上初の高校8冠を達成する。(高校総体3冠、国体3冠、選抜2冠)
H16.8 井上謙二、伊調千春がアテネオリンピックに出場。井上謙二が銅、伊調が銀メダルを獲得。
H18.3 全国高等学校選抜大会 学校対抗戦で2位となる。
H18.8 全国高校総体(大阪インターハイ) 学校対抗戦で2位となる。
H20.8 北京オリンピックで伊調千春が銀メダルを獲得する。
H24.8 ロンドン・オリンピックに高谷惣亮(ALSOK)が出場する。
H26.8 全国高等学校総合大会レスリング競技で学校対抗戦で10回出場の表彰を受ける。
H28.8 リオ・オリンピックに高谷惣亮(ALSOK)が出場する。
R2.12 高谷惣亮(ALSOK)が天皇杯全日本選手権で10連覇を達成する。
R3.5 高谷惣亮(ALSOK)が、東京オリンピック出場を決める。
R3.6 正田絢子が、東京オリンピックの聖火ランナーとしてリレーを走る。
R4.4 網野高等学校から、丹後緑風高等学校網野学舎として継承されました。
   

 


問い合わせ:網野レスリング 丹心

〒629-3101
京都府京丹後市網野町網野2820
京都府立丹後緑風高校 網野学舎内

メール info_cs@amino-tanshin.com